大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)45号 判決

上告人

大竹貿易株式会社

右代表者代表取締役

上原満男

右訴訟代理人弁護士

田宮敏元

香山仙太郎

被上告人

神戸税務署長

竹原功

右指定代理人

村川広視

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人田宮敏元、同香山仙太郎の上告理由について

一原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  上告人は、ビデオデッキ、カラービデオ等の輸出取引を業とする株式会社であるが、上告人と海外の顧客との間の輸出取引は、上告人において輸出商品を船積みし、運送人から船荷証券の発行を受けた上、商品代金取立てのための為替手形を振り出して、これに船荷証券その他の船積書類を添付し、いわゆる荷為替手形として、これを上告人の取引銀行で買い取ってもらうというものであった。なお、国際商業会議所において採択された貿易条件の解釈に関する国際規則(インコタームス)に示された主要貿易条件に関する統一的解釈によれば、右のように船荷証券が発行されている場合には、上告人が採用しているいずれの貿易条件によっても、売主が船荷証券を中心とする船積書類を整えて買主に提供したときに、商品の所有権は買主に移転し、その効果が船積みの時にさかのぼるものとされている。

2  今日の輸出取引においては、信用状の授受や輸出保険制度の利用により、売主は商品の船積みを完了すれば、取引銀行において為替手形を買い取ってもらうことにより売買代金の回収を図り得る実情にある。このような輸出取引の実情を背景として、輸出取引による収益の計上については、船積時を基準として収益を計上する会計処理(以下、この会計処理基準を「船積日基準」という。)が、実務上は、広く一般的に採用されている。

3  ところが、上告人は、前記の荷為替手形を取引銀行で買い取ってもらう際に船荷証券を取引銀行に交付することによって商品の引渡しをしたものとして、従前から、荷為替手形の買取の時点において、その輸出取引による収益を計上してきており(以下、この会計処理基準を「為替取組日基準」という。)、昭和五五年三月期及び同五六年三月期においても、輸出取引による収益を右の為替取組日基準によって計上して所得金額を計算し、法人税の申告を行った。

4  これに対し、被上告人は、為替取組日基準により収益を計上する会計処理は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合せず、輸出取引による収益を船積日基準によって計上すべきものとして、上告人の昭和五五年三月期及び同五六年三月期の所得金額及び法人税額の更正を行った。

二法人税法上、内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、資本等取引以外の取引に係る収益の額とするものとされ(二二条二項)、当該事業年度の収益の額は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計算すべきものとされている(同条四項)。したがって、ある収益をどの事業年度に計上すべきかは、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従うべきであり、これによれば、収益は、その実現があった時、すなわち、その収入すべき権利が確定したときの属する年度の益金に計上すべきものと考えられる。もっとも、法人税法二二条四項は、現に法人のした利益計算が法人税法の企図する公平な所得計算という要請に反するものでない限り、課税所得の計算上もこれを是認するのが相当であるとの見地から、収益を一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計上すべきものと定めたものと解されるから、右の権利の確定時期に関する会計処理を、法律上どの時点で権利の行使が可能となるかという基準を唯一の基準としてしなければならないとするのは相当でなく、取引の経済的実態からみて合理的なものとみられる収益計上の基準の中から、当該法人が特定の基準を選択し、継続してその基準によって収益を計上している場合には、法人税法上も右会計処理を正当なものとして是認すべきである。しかし、その権利の実現が未確定であるにもかかわらずこれを収益に計上したり、既に確定した収入すべき権利を現金の回収を待って収益に計上するなどの会計処理は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものとは認め難いものというべきである。

三1  これを本件のようなたな卸資産の販売による収益についてみると、前記の事実関係によれば、船荷証券が発行されている本件の場合には、船荷証券が買主に提供されることによって、商品の完全な引渡しが完了し、代金請求権の行使が法律上可能になるものというべきである。したがって、法律上どの時点で代金請求権の行使が可能となるかという基準によってみるならば、買主に船荷証券を提供した時点において、商品の引渡しにより収入すべき権利が確定したものとして、その収益を計上するという会計処理が相当なものということになる。しかし、今日の輸出取引においては、既に商品の船積時点で、売買契約に基づく売主の引渡義務の履行は、実質的に完了したものとみられるとともに、前記のとおり、売主は、商品の船積みを完了すれば、その時点以降はいつでも、取引銀行に為替手形を買い取ってもらうことにより、売買代金相当額の回収を図り得るという実情にあるから、右船積時点において、売買契約による代金請求権が確定したものとみることができる。したがって、このような輸出取引の経済的実態からすると、船荷証券が発行されている場合でも、商品の船積時点において、その取引によって収入すべき権利が既に確定したものとして、これを収益に計上するという会計処理も、合理的なものというべきであり、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものということができる。

2  これに対して、上告人が採用している会計処理は、荷為替手形を取引銀行で買い取ってもらう際に船荷証券を取引銀行に交付することによって商品の引渡しをしたものとして、為替取組日基準によって収益を計上するものである。しかし、この船荷証券の交付は、売買契約に基づく引渡義務の履行としてされるものではなく、為替手形を買い取ってもらうための担保として、これを取引銀行に提供するものであるから、右の交付の時点をもって売買契約上の商品の引渡しがあったとすることはできない。そうすると、上告人が採用している為替取組日基準は、右のように商品の船積みによって既に確定したものとみられる売買代金請求権を、為替手形を取引銀行に買い取ってもらうことにより現実に売買代金相当額を回収する時点まで待って、収益に計上するものであって、その収益計上時期を人為的に操作する余地を生じさせる点において、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものとはいえないというべきである。このような処理による企業の利益計算は、法人税法の企図する公平な所得計算の要請という観点からも是認し難いものといわざるを得ない。

3  以上のとおり、為替取組日基準によって輸出取引による収益を計上する会計処理は、公正妥当と認められる会計処理の基準に適合しないものであるのに対し、船積日基準によって輸出取引による収益を計上する会計処理は、公正妥当と認められる会計処理の基準に適合し、しかも、前記のとおり、実務上も広く一般的に採用されていることからすれば、被上告人が、船積日基準によって、上告人の昭和五五年三月期及び同五六年三月期の所得金額及び法人税額の更正を行ったことは、適法というべきである。

四これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立ち又は原判決を正解しないでこれを論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、九八条に従い、裁判官味村治、同大白勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

裁判官味村治の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、原判決を破棄し、上告人の本件請求を認容すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。

一  多数意見は、法人税法二二条四項の「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」の意義を明らかにしていないが、私は、同項は、同法七四条一項と統一的に理解すべきものであって、右の「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」とは、法人税の納税義務者である内国法人(以下単に「内国法人」という。)がその確定決算の内容について従うべき規範をいい、納税義務者が株式会社である場合には、株式会社の計算書類の内容に関する商法の規定が右の基準に該当すると考える。その理由は、次のとおりである。

法人税法七四条一項は、内国法人の確定申告は確定した決算に基づくことを要するとしているが、その趣旨は、確定した決算における当該決算期の利益の計算を基礎とし、これに同法の規定による修正・変更を行って課税所得を計算することにある。内国法人には種々あり、会社のように確定決算の内容について商法、有限会社に定めがあるものもあれば、法人とみなされる人格のない社団のように確定計算の内容について不文の規範を従うと考えられるものがあるが、すべて内国法人には、その種類ごとに、確定決算の内容に関する規範があると考えられる。そして、内国法人の確定決算の内容が右の規範に適合していて、法人税法に定めがない場合にまで、右の規範と異なる会計処理の基準により当該事業年度の収益の額等を計算すべき旨を同法二二条四項が定めていると解することは、同法七四条一項の趣旨との間にそごを生じ、法人税法の解釈上不合理である。したがって、同法二二条四項は、法人税の課税標準となる各事業年度の所得の金額を計算する場合において、同法に規定がないときは、当該事業年度の収益の額等は、確定決算の内容に関する規範によって計算すべき旨、すなわち、確定決算の内容が右の規範に適合しているときはその確定決算により、右の規範に適合していないときは右の規範によって計算すべき旨を定めたものと解すべきである。各種の内国法人の確定決算の内容に関する規範はすべて、会計処理の基準に関する事項を内容とし、しかも一般に公正妥当と認められるという性質を有しているとみられるから、この解釈は、同項の文理にも適合する。

そうすると、納税義務者が株式会社である場合には、株式会社の計算書類の内容に関する商法の規定が法人税法二二条四項の「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に該当すると考えられる。そして、商法三二条二項は、商業帳簿の作成に関する規定の解釈については公正な会計慣行をしんしゃくしなければならないとしていて、昭和二四年七月九日経済安定本部企業会計制度対策調査会が発表し、その後大蔵大臣の諮問機関である企業会計審議会が修正した企業会計原則は、企業会計の実務の中に習慣として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められるところを要約したものとして発表されたものであるから、公正な会計慣行を記述している限りにおいて、株式会社の計算に関する規定の解釈についてしんしゃくされることとなる。

二1  商法の計算に関する規定は、財産の増減により利益を計算する方法を採っていて、同法三三条一項及び二項の規定によれば、会社は毎決算期における営業上の財産を貸借対照表に記載しなければならず、この財産には資産も負債も含まれる。したがって、株式会社が商品を販売した場合、販売による収益を計上する時点がいつかという問題は、商法上は、代金債権が貸借対照表能力を取得する時点及び商品が貸借対照表能力を失う時点はいつかという問題である。

2  企業会計原則は、第二損益計算書原則三Bにおいて「売上高は、実現主義の原則に従い、商品等の販売又は役務の給付によって実現したものに限る」とし、注解注6(3)が予約販売について予約金受取額のうち決算日までに商品の引渡し又は役務の給付が完了した分だけを当期の売上高に計上するとし、同(4)が割賦販売については商品等を引き渡した日をもって売上収益の実現の日とするとしていることからすると、一般的には商品の引渡しの時点をもって収益の計上の時点とすることが会計慣行であることがうかがわれる。この会計慣行は、公正な会計慣行と認められるから、前記の商法上の問題については、この会計慣行をしんしゃくして判断すべきこととなる。

3  会社は、商品の販売契約により代金債権を取得するとともに商品の引渡義務を負う。しかし、右の会計慣行によれば、商品の引渡し前には、この両者は貸借対照表能力を有せず、商品の引渡義務が消滅した時に、代金債権が貸借対照表能力を取得し、商品が貸借対照表能力を失うこととなる。商品の引渡義務を貸借対照表に負債として計上するとすれば、この貸借対照表価額は、引渡しの対象となる商品の取得価額及び運送費等引渡しに要する付随費用の額からなると考えられるが、一般的には、これらの額は、商品の引渡し前には未確定で確実に算定することは困難であること、商品の引渡し前にその所有権が売主から買主に移転することもあるが、商品の所有権がいつ買主に移転するかは商品の売買契約の内容によって様々であって、大量の取引を会計帳簿に記載する上で、商品の所有権がいつ買主に移転したかを判断するには困難を伴う一方、商品の引渡しの有無は容易に判断できること、商品の所有権は遅くとも引渡しの時には買主に実質的に移転しているとみられること、商品の引渡し前には売主が商品を事実上支配するという利益を有していることなどを考慮すると、右の会計慣行は合理的であり、これに従った会計処理は、商法の前記規定に適合するというべきである。

4  隔地者間の売買においては、右の会計処理以外にも商法の前記規定に適合する会計処理がある。すなわち、売主が運送業者に運送を依頼して貨物引換証、船荷証券等の発行を受けないで商品を発送した場合には、売主としては商品の引渡しのために行うべきことは完了し、商品が買主に引き渡されることは確実とみられ、運送費等引渡しに要する付随費用の額も確定しているとみられること、商品の発送の時点とその所有権が売主から買主に移転する時点とは一致しないこともあるが、大量の取引を会計帳簿に記載する上で、商品の所有権がいつ買主に移転したかを判断するには困難を伴い、隔地者間では商品の買主への引渡しの時点を知るには時間と手数を要する一方、商品の発送の時点は容易に知ることができること、商品の発送時には売買の対象となる商品は特定し、商品の所有権は買主に移転していることが多いとみられること、商品の発送前には売主が商品を事実上支配するという利益を有していることなどを考慮すると、商品の発送の時に、代金債権が貸借対照表能力を取得し、商品が貸借対照表能力を失うとして、収益を計上する会計処理も、合理的であり、商法の前記規定に適合するというべきである。

三  本件においては、商品の輸出契約に基づき商品が船積みされて船荷証券が発行された場合に、取引銀行に荷為替手形を譲渡して船荷証券を交付した時に収益を計上する会計処理は商法の前記規定に適合するか否かが問題となる。

船荷証券は運送品の引渡請求権を表象し、運送品に関する処分は船荷証券をもってしなければならず、船荷証券と引換えでなければ運送品の引渡しを請求できないから、買主に船荷証券を引渡さなければ売主の商品引渡義務は消滅しない。そうすると、二の3で述べたところと同様、船荷証券を買主に引き渡した時に収益を計上する会計処理が商法の前記規定に適合するというべきである。

しかし、荷為替手形の仕組においては、売主が荷為替手形を譲渡した取引銀行又はその銀行の取引銀行が買主から荷為替手形の支払等を受けるのと引換えに船荷証券を買主に引き渡すこととなっていて、売主による取引銀行への船荷証券の交付は、買主への船荷証券の発送と類似するから、二の4で述べたところと同様に考えることができる。すなわち、売主が取引銀行に荷為替手形を譲渡して船荷証券を交付した場合には、売主としては買主への商品の引渡しのために行うべきことは完了し、国際的銀行取引の現状からすれば、船荷証券が荷為替手形の支払等と引換えに買主に引き渡されることは確実とみられ、船荷証券の引渡費用を含め商品の引渡しに要する付随費用の額も確定しているとみられること、売主は船荷証券の所持を失い、運送中の商品の所有権を実質的に失うこと、船荷証券の買主への引渡しの時点を知るには時間と手数を要するが、取引銀行への交付の時点は容易に知ることができることなどを考慮すると、船荷証券の取引銀行への交付の時に、代金債権が貸借対照表能力を取得し、商品が貸借対照表能力を失うとして、収益を計上する会計処理も、商法の前記規定に適合するというべきである。

四  以上のとおり、上告人の採用する会計処理の方法は、株式会社の計算に関する商法の規定に適合し、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に適合するものである。したがって、被上告人が、この方法の右の基準に適合しないものとして、上告人の昭和五五年三月期及び昭和五六年三月期の所得金額及び法人税額の更正を行ったことは、違法というべきであり、原判決を破棄し、上告人の本件請求を認容すべきである。

裁判官大白勝の反対意見は、次のとおりである。

私は、多数意見と異なり、輸出取引による収益を為替取組日基準によって益金に計上する会計処理もまた、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものと考える。その理由は、以下のとおりである。

たな卸資産の販売による収益については、これを当該資産の引渡しの時点で益金に計上する会計処理が、企業会計原則において採用されている会計慣行であるというだけでなく、商法上も、株式会社の決算に当たってしんしゃくすべき「公正なる会計慣行」に当たるとの法的評価を受けているものということができるから、これが、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準(法人税法二二条四項)に適合する会計処理であるというべきである。

ところで、船荷証券が発行されている輸出取引の場合には、売主は、船荷証券を買主に引き渡すことによって、売買契約に基づく商品引渡義務を完全に履行したということができることとなるのであるが、今日の国際間取引の実情からすると、売主が右の引渡義務の履行として船荷証券を直接買主に引き渡すことは極めてまれであり、むしろ、売主は、取引銀行において荷為替を取り組み、船荷証券は、為替手形の支払に際して、取引銀行から買主に提供されるのが通例であると思われる。このように、売主は、取引銀行を介して船荷証券の引渡義務を履行しているのが通例であると考えられることからすると、売主が取引銀行に船荷証券を交付する行為は、買主に対するその引渡義務を履行するために必要な行為であるとみることができ、しかも、売主としては、取引銀行に船荷証券を交付することによって、売買契約に基づく商品の引渡義務を履行するために自らが行うべきすべての行為を完了したこととなる上、これによって、売主が取引銀行に交付した船荷証券は、為替手形の支払と引換えに買主に引き渡されることが確実になったものということができる。そうすると、このような輸出取引の場合には、売主が取引銀行に船荷証券を交付した時点で、商品の引渡しがあったものとして、当該商品の輸出取引による収益を益金に計上するという為替取組日基準による会計処理も、前記の一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合するものということができるものと考えられるのである。また、右の為替取組日基準による会計処理を継続して行ってきている場合には、右のような会計処理の方法が採られているからといって、各事業年度の益金の計上時期を任意に操作することによって不当に税負担を免れ得ることになるまではいえないと考える。

以上によれば、右の為替取組日基準による会計処理が一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に適合しないものであるとしてされた上告人の昭和五五年三月期及び同五六年三月期の所得金額及び法人税額の更正は、違法なものというべきである。論旨は、この点において理由があることになるから、原判決を破棄し、第一審判決を取り消して、右各更正を取り消すのが相当である。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官三好達 裁判官大白勝)

上告代理人田宮敏元、同香山仙太郎の上告理由

上告理由第一点、第二点〈省略〉

上告理由第三点 法人税法(昭和四〇年三月三一日法律三四号、昭和四二年五月改正)における、二二条四項「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」の立法趣旨について、原判決は、これを単なる会計慣習及び条理の採用であるとするが、これは企業会計原則の採用を示したものである。原判決には、判決に影響する重大なる解釈の誤り、理由齟齬がある。

一 原判決は三六丁表一〇行目(当審における主張についての判断)一において、上記同項の立法趣旨について、「同項は、複雑、多様化し、流動的な経済事象については、税法によって一義的、完結的に対応することは適切ではなく、健全な企業会計の慣行に委ねることのほうが適切であるとの趣旨で規定されたものである。」とするが、仮に、経済事象において、複雑、多様化し、流動的になっても、税法は一義的に対応すべきであって、多義的に対応することは、法の下の平等(憲法一四条)に反し許されない。法人税法二二条四項が、課税所得算定のための、当該年度の収益の額(二項)、損金の額に算入すべき金額(三項)が、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計算されるものとする」と規定したのは、経済事象に対する多義的対応とは全く関係なく、企業会計における純利益の理念を課税所得の基礎とすること、なかんずく企業会計の健全な自主性を認める必要があったからである。従って、これによって、法人税法の画一性が排されることになるが、健全な企業会計の慣行では、継続性の原則を遵守することによって、これを公正妥当なものとし、税法上もこれを租税目的に敵するものとしたものである。原判決判示のように、これによって税法が多義的に対応されることとなるものではない。

又、いかなる法律であっても、すべての社会事象に完結的に対応することは不可能である。何も経済事象に限られるものではない。これは成文法の通有性であり、特に税法に限ったことではない。このような成文法の解釈を補うための単なる条理や慣習と解するならば、それは法解釈として当然のことであって、敢えて法律の改正により、特に四項を挿入する必要はない。原判決は、「同項にいう「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」とは、客観的な規範性をもつ公正妥当と認められる会計処理の基準という意味であり、企業会計原則のような明文化された特定の基準を指すものではない」とするが、この様な解釈は、およそ継続性の原則の下で、企業の自主経理を認める「健全な企業会計の慣行」とは異なるものである。その上、なにが「客観的な規範性をもつ公正妥当と認められる会計処理の基準」か、極めて不明確であり、これでは広く税務当局の自由裁量を認めることになり、本条の改正を無意味にするものである。同項の立法趣旨は、この様な、無意義、曖昧なものではない。

二 ここで「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」とは、企業会計において特に用いられる概念であって、この基準は、企業会計原則(科学的基礎の下に、企業会計の基準として、企業会計の実務の中の慣習として発達したもののなかから、一般に公正妥当と認められたところ要約して設けられてきたもの)に適合する会計処理基準と解すべきである。その理由は次の通りである。

企業会計原則は、必ずしも法令によって強制されないでも、すべての企業がその会計を処理するにあたって従わなければならない基準であって、それは、公認会計士が、公認会計士法及び証券取引法に基づき財務諸表の監査をなす場合において従わなければならない基準であり、且つ将来において、商法、税法、物価統制令等の企業会計に関係ある諸法令が制定改廃される場合において尊重されねばならないものとして、設定されたものである(企業会計原則の設定について(昭和二四年七月九日企業会計制度対策調査会中間報告))。そして、この解釈指針としての「企業会計原則注解」と一体として、これに適合する会計処理の基準のみが、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準とされてきたのであり、これに反する会計処理の基準は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準とは認められないという意味で、「企業会計原則」と名付けられたのである。その後、昭和二九年、三八年、四九年、五七年とその一部の修正がなされたが、今日においては、「企業会計原則」が、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準であるがための企業会計の原則であることは、会計学上、既に通説として定着している。従って、原判決の如く、「(企業会計原則が)一般に公正妥当と認められる会計処理の基準の一つの源泉と解されるが、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準は、企業会計原則のみを意味するものではなく、他の会計慣行をも含み、他方、企業会計原則であっても解釈上採用し得ない場合もある」とすることは出来ない。「企業会計原則」は、何が「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」であるかを示す原則であって、この原則に適応して、はじめて一般に公正妥当と認められる会計処理の基準となるものである。従って、「企業会計原則」は、単なる一般に公正妥当と認められる会計処理の基準の一つの源泉などではない。企業会計原則に適合する会計処理の基準のみが、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準とされるのである。従ってまた、これに反する他の会計慣行が、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に含まれることなど有り得ない。他方、企業会計原則であっても法人税法上採用されない場合もあるが、それは法人税法上別段の定めがあるからであって(同法二二条二項三項)、そのときは、同法の解釈上、「企業会計原則」における一般に公正妥当と認められる会計処理の基準であっても、その範囲において採用されないのは当然のことである。しかし、別段の定めがあるからといって、「企業会計原則」上の当該基準が、一般に公正妥当と認められない会計処理の基準となるものではない。原判決は、次元の異なる立論を持ってその論拠とし、企業会計原則であっても解釈上採用し得ない場合があるとしているのである。以上の如く、原判決には、「企業会計原則」「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」にたいする重大な解釈の誤りがある。

三 昭和四二年五月の法改正により、法人税法二二条四項が挿入されたのは、原判決のいうような、単に「複雑、多様化し、流動的な経済事象」に適切に対応するためではない。「税法と企業会計との調整に関する意見書(昭和四一年一〇月一七日大蔵省企業会計審議会中間報告)」が、総論「一 税法における適正な企業経理の尊重」の「1 企業会計に準拠する旨の基本的考え方の導入」において、「納税者の各事業年度の課税所得は、納税者が継続的に健全な会計慣行によって企業利益を算出している場合には、当該企業利益に基づいて計算するものとする旨の規定を設けることが適当である」と発表したことに基づくものである。そしてこの意見書は、「2 自主的経理の容認」において、「税法の各種の規制は、企業会計をゆがめ、又企業の実態に即応しない結果を生ぜしめるので、これを大幅に緩和することとし、可能な限り課税所得の計算を、継続性を重視した企業の自主的判断に基づく適正な会計にゆだねることとすることが適当である。」とし、「3 事実認定の自主性」において、「ある会計処理について税法と企業会計との間には何等理論的な差異の存在は認められないにもかかわらず、…会計処理の前提となる会計的事実の認定については、…税務上これらの事実認定が厳格に行われ過ぎるきらいがあるため、企業の実態に即応し得ない場合も生じている。従って、これらの会計的事実については企業の妥当な判断による認定を行う余地を税務上認めることとすることが望ましい」としている。そして、「二 企業の会計実務における継続性の重視」の(3)においては、「企業が自ら適正な会計方法によって会計処理を行い、この会計方法の継続的適用を特に遵守し、適正な企業利益の算出に努力すれば、この意見書における主張の実現が期待される」としている。これに応じて、各論「一 会計方法の選択の自主性」、「三画一的基準の緩和」、「四 事実認定の自主性」において、各具体例を示している。同条四項は、この意見書の主張を踏まえて、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って計算するものとする」と規定したのである。

上告理由第四点 収益計上基準について(三七丁表八行目)、原判決は、収益計上基準は、商品の種類、性質、契約条件等によって、合理的且つ客観的に決まり、企業は合理的な基準以外の基準を選択することはできないとするが、企業会計原則における収益計上基準は、販売としての引渡しを基準とするものであり、原則として出荷より検収までの基準であれば、継続性の原則の遵守を前提として、どの収益計上基準をも選択し得るものである。原判決の収益計上基準は、企業会計原則及び法人税基本通達に反するものであり、判決に影響を及ぼす同法二二条四項違反の違法の解釈である。

1(一) 売上収益計上基準について、企業会計原則では、「売上高は、実現主義の原則に従い、商品等の販売又は役務の給付によって実現したものに限る」(損益計算書原則三のB)とのみ規定し、具体的な販売基準を規定せず、これを正規の簿記の原則(一般原則二)に委ねている。正規の簿記の原則とは、会計学、簿記において確立された会計処理の原則であって、これによれば、売上収益の実現とは、①販売またはこれと同等の手続きを経て法律的に財貨またはサービスの引渡しが行われること。②売買契約等に基づき、現金その他処分し得る確実な資産(例えば、小切手、手形、売掛債権等)を取得することという二つの条件が充たされることである。(以下この二条件を充足した引渡しを「販売としての引渡し」という)。従って、未だ引渡しのない段階においては、仮に売買契約が成立したとしても、又この商品に対する仕入があっても、加工、製造等が完了し商品の付加価値が増加しても、①②の要件が充たされないから、これらのいずれ時点でも売上計上は許されない。他方、予約販売等により、さきに代金を受領しても、①の引き渡し要件を充足したときにのみ、売上の計上が許されるのであって、その引渡しの前に代金の受領時点で売上に計上することは許されない(注解6(3))。但し例外として、長期請負工事等については、その完成、引渡しの時まで毎期収益がなく、多額の費用が先行して計上されるところから、費用収益対応の原則に基づき、期間損益の適正化のため、未だその引渡しがなくても、工事の進行程度に応じて売上に計上することが認められている(注解7)。

他方、商品の引渡しがあっても、委託販売、試用販売のように、未だ買主との間で売買契約の成立のない場合は、①の要件が充たされないから、その引渡しの時点で売上に計上することは許されず、受託者における販売又はその通知、試用品の買い取りの意思表示など、その売買の成立等②の要件が充たされたときに、始めて売上に計上することが許されるのである。(注解6(1)(2))。

しかしながら、瑕疵ある商品を引渡しても、買主が現金等の対価を支払うものではないから、売買契約が成立し、これに基づき引渡しがあっても、これによって直ちに、現金その他処分し得る確実な資産を取得することはできない。その対価を取得できるのは、買主によって、その商品の品目、数量、品質の検査がなされ、これを目的の商品として受領されることが必要である。これに対して商法は、買主がその目的物を受け取ったときに、遅滞なくこの検査をし、これに瑕疵のあること、数量に不足のあることを発見したときは、直ちに売主に対し、その通知を発しなければ、これにより契約の解除または代金の減額もしくは損害賠償の請求ができないとして(商法五二六条)、買主に即時に検収することを義務づけている。従って、厳格にいえば、買主の検収があって始めて、売上に計上することの出来る引渡し、即ち販売としての引渡しがあったものとすべきものである。

しかし、経験的に、買主に商品を引渡したときには、検収に合格する確率が非常に高いこと、何時検収があったか売主に確認できない場合もあることから、検収を待たずして、引渡しによって売上を計上する会計慣行が生じ、これも又販売としての引渡しとして認められることとなった。

企業会計上の引渡しも、商品の占有移転を指すものである。従って、現実の引渡しに限らず、簡易の引渡し、占有改定、指図による引渡し等、すべてこの引渡しに当たり、勿論、買主の代理人に対する引き渡しも同様である。そして、これらの引渡しは、上記会計慣行から、検収を待たずして、すべて売上計上の認められる引渡しに該当するものとされる。

倉庫会社に保管中の商品、運送途中の商品の売買がなされる場合、その引渡しは、現物の現実の引渡し、指図による引渡しの外、倉荷証券、貨物引換証、船荷証券等の引渡しによってなされることがある。これ等の証券は、商品の所有権を表彰する有価証券であり、この引渡しによって、相手方はこの商品の上に行使する権利、即ち、所有権、質権の取得につき、商品の引渡しと同一の効力を受けるので(商法五七五条)、この証券の引渡しは、指図による商品の引渡しではなく、有価証券による商品の現実の引渡しに該当する。従って、船荷証券を引き渡すことは、それが現金と引換であろうが、荷為替であろうが、単なる掛け売りであろうが、その対価とは関係なく、現実の引渡しであることに何等変わるところはない。これに対し原判決は、「具体的な取引行為を考慮しない、所有権及び引渡しについての法律上の観念のみにとらわれた形式的な主張である」(四二丁表一一行)とするが、船荷証券は、商品を表彰する有価証券であって、単なる紙片ではない。そしてその引渡しは、その表彰する商品の現実の引渡しであって、会計上の引渡しにも当たるものである。船荷証券を引き渡せば、以後現物の商品を引き渡すことはない。荷為替の場合も同様である。具体的取引行為は、引渡しの有無につき考慮すべきものではあっても、代金の授受などその他の行為について考慮すべきものではない。従って、企業会計上においても、船荷証券の引渡しは、法律上の観念的引渡しなどではない。

更に、健全な会計慣行においては、この引渡しの観念を拡張し、運送機関の進歩、運送保険の発達により、その安全性、確実性が飛躍的に増大したこともあって、陸送、船積みのために、運送機関に引渡しただけで売上に計上することが認められることとなった。このような運送会社、船会社、船長は買主の代理人ではない。従ってこれら運送機関に対する引渡しは、買主に対する引渡しではない。しかし、健全な会計慣行は、これを販売としての引渡しと認めるようになったのである。更には、自社における出荷・発送も、運送機関にこれを託することと何等変わりがないところから、自社発送があれば、確実に相手方に到着するものとして、出荷の時に売上に計上することも、又、健全な会計慣行として認められるようになったのである。(八丁裏五行目。控訴人主張「2 収益計上基準について」)。

以上の如く、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」としての販売基準は、原則として、幅広く出荷より検収までの間の基準として認められる。従って、船積基準も、荷為替基準も販売基準として妥当な基準である。しかし、出荷・発送以前の時点では、販売としての引渡しがないため、売上として計上することは認められず、他方、検収が終わったときは、これにより売買が完結し、これ以後に商品の引渡しは有り得ないのであるから、この時には売上に計上しなければならない。従って、これ以後の例えば代金の回収があった時を以って売上に計上することは、回収基準(別名現金基準ともいう)として許されない。但しこの例外として、割賦販売にあっては、売掛代金の回収の遅延、不能の危険性が極めて高いところから、この回収基準によることも認められている。

そして、企業会計原則では、これらの販売基準の採用を、企業の自主的選択にまかしている。従って、企業は、販売としての引渡しを基準とするものであれば、出荷基準、運送基準(船積基準)、荷為替基準、その他の中間基準、検収基準等、そのいずれを販売基準として採ることもできる。又、特殊な販売として、工事進行基準、割賦基準をとり得る場合もある。しかし、企業会計原則では、「企業会計は、その処理の原則及び手続きを毎朝継続して適用し、みだりにこれを変更してはならない」(一般原則五)として、企業の自主選択と共に、継続性の原則を遵守することを義務づけている。そして、その継続性の原則の注解において「…このような場合に、企業が選択した会計処理の原則、及び手続を毎朝継続して適用しないときは、同一の会計事実について異なる利益額が算出されることになり、…正当な理由により変更を行う場合を除き、財務諸表を作成する各時期を通じて継続して適用しなければならない」(注解1・3)として、その理由と必要性の説明をしている。そしてその継続性の確認のために、その採用した「費用・収益の計上基準」は、重要な会計方針としてこれを開示し、その財務諸表にこれを注記しなければならない旨を規定している(注解1・2ト)。企業会計原則にあっては、企業会計の自主性を認め、企業において上記のどの販売基準を採用しても、その販売基準を毎朝継続して採用すれば、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に従って」各期間損益は、正しく計算されると解するからである。従って、この販売基準が、商品の種類、性質、契約条件等によって合理的に且つ客観的に決まり、企業がこれを選択して適用する余地がなければ、毎期当然同じ処理になるはずであるから、継続性の原則など敢えて規定する必要はない。企業会計原則が、企業の自主性を容認し、継続性の原則の遵守を要求しているのは、これを合理的、客観的に決めることはできず、長い会計慣行の経過において、企業の自主性を認めないと、却って多大の弊害が生ずることを経験してきたからである。

原判決は、三七丁裏四行目「ところで、…商品の販売は、通常、契約の成立から商品の検収さらには代金の受領にいたる経過をたどるものであり、契約内容によっては、商品の検収以前に代金の受領が行われる場合もあり、…実現主義に従えば、右の過程のうちの何れの時期に実現したかを検討すべきであり、そのためには、商品の種類、性質、契約条件等を考慮して合理的に判断しなければならない」とする。しかし、上記の通り、以上の何れの過程において販売基準とするかは、継続性を前提とし、企業の健全な自主的選択に委ねられているのである。企業は、その販売形態に応じ、企業の実態に適し最も適当であると考えられる基準を選択できるのである。商品の種類、性質、契約条件等によって制約を受けるものではない。寧ろ、A商品ならば出荷基準、B商品ならば運送基準、C商品ならば検収基準というような販売基準の設定は許されないものである。又、取立債務であるから出荷基準、送付債務であるから運送基準、持参債務であるから検収基準と謂うような、契約条件による区別も許されない。取立債務であっても検収基準をとることができ、持参債務であっても出荷基準をとることができるのである。仕入、加工、製造、出荷、運送、検収、代金回収という販売過程は、何れの商品の、何れの契約条件の販売にも共通のものであり、これを細分することは、却ってその継続性の有無の判定を困難にし、不当な利益操作を可能にするからである。企業会計上、通常の販売であれば、国内販売であろうと輸出であろうと、その販売基準が変るものではない。輸出において、FOB条件であるから船積基準、CIF条件であるから到着港基準でなければならないものではない。この条件は、そもそもが危険負担の帰属条件に過ぎないのであるが、今日にあっては、FOB条件か、CIF条件かは、単にその保険料、海上運賃を、売主が負担するか、買主が負担するかの条件の違いだけであって、上記販売過程は全く同じであり、企業会計上、何れを販売基準とするかについては、何等異なるところはなく、特殊な販売でない限り、継続性の原則の見地からは、寧ろ、その販売基準は統一されるべきである。これに対し、一審判決は、権利確定主義の見地から、FOB条件の場合は船積みにより権利が確定するから船積基準によらねばならないとし、原判決は、権利確定主義を否定して、FOB条件は本船渡しの取引条件であるから、船積基準によらねばならないとしている。上告人の輸出は、その約半数がCIF条件及びC&F条件であり、所謂到着港渡しの取引条件であるから、原判決の取引条件基準では、少なくてもこの部分の船積基準が破棄されねばならない。この点において、原判決には理由の齟齬がある。これに関し、原判決は、「判決の補正」として一審判決を変更し、控訴人は輸出条件が何かを明らかに争わないので、FOB条件であることを自白したものとみなすとするが(三二丁表三行目)、上告人会社は〈書証番号略〉において、取引条件欄に、CIF条件及びC&F条件を示してこれを争っているので、すべてFOB条件であることを自白したものとは言えない。しかし、船積基準に限るとする点において、一審判決は勿論のこと、原審判決も又、企業会計原則に反するものである。

原判決は、上記の事例として「即ち、機械設備等のいわゆるプラントの販売においては、プラントの設置が完了して、検収が終了した後に代金の支払がなされるのが通常であるところから、それまでの間に収益が実現したものと認められないとして、検収の日を以って収益が実現したものと認められる場合が多く、他方、取引条件において代金先払いとされている場合は、発送以前に収益が実現したものと認められる余地もあり、具体的取引における商品の種類、性質、契約条件の如何に係わらず、一般的に発送から検収までのいずれの時点においても収益が実現したものと認めることはできない」(三八丁表一行目)とする。

企業会計原則においては、財貨の販売もサービスの販売も、その引渡しをもって収益実現の基準とするものである。従って、商品の売買であっても、請負であっても、又、その複合形態であっても、その引渡しという販売基準に差異はない。従って、機械設備等のプラントの販売であっても、引渡基準即ち、出荷基準、船積基準、荷為替基準、検収基準の何れの基準を採用することもでき、又、長期請負工事ならば、工事完成基準、工事進行基準の何れをも採用することができるのである。原判決は、プラントの販売においては、検収後代金の支払がなされるのが通常であるから、検収の日まで収益が実現したものと認められず、検収の日をもって収益が実現したものとすべきであるとするが、収益の実現は、代金の支払条件とは関係はなく、機械設備等のプラントの販売であっても、通常の商品・サービスの販売と同じく、何等検収基準に限られるものではない。すべて商品は、検収が終了した後に代金の支払がなされるのが通常であるから、原判決のような見解では、すべて商品は検収基準によらねばならぬことになる。この点においても原判決には理由がない。

又、他方、取引条件において代金先払いとされている場合に、発送以前に収益が実現したものと認められる余地があるとするが、既述の如く、予約販売等により、代金先払いの取引条件があっても、代金受領の日に売上に計上することは許されず、販売としての引渡しによってはじめて、収益が実現するとされるのであるから、未だ係る引渡しのない、発送以前に収益が実現したものと認められる余地はない。

以上の如く、原判決の、「具体的取引における商品の種類、性質、契約条件等の如何に係わらず、一般的に発送から検収までの間の何れの時点においても、収益が実現したものと認めることができない。…企業会計原則が、発送から検収に至るまでの基準であれば、これを公正妥当な販売基準として認めているものとは解しえない」とするのは、企業会計原則における「収益の実現」の意義を誤解したものであって、全く理由のないものである。企業会計原則では、具体的取引における商品の種類、性質、契約条件の如何に係わらず、発送から検収までの何れの時点でも、販売としての引渡しであれば、これを適正な販売基準として認めているのである。

(二) 法人税の取扱い通達も、これと全く同じ見解であることを示している。法人税基本通達は、法人税法二二条四項を受けて「棚卸資産の販売による収益の額は、その引渡しのあった日の属する事業年度の益金の額に算入する」(基本通達2―1―1)としている。従って、ここでいう引渡しは、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に基づく、販売としての引渡しを意味する。

更に同通達は、上記につき、「棚卸資産の引渡しの日がいつであるかについては、例えば、出荷した日、相手方が検収した日、相手方において使用収益ができることとなった日、検針等により販売数量を確認した日等当該棚卸資産の種類及び性質、その販売に係る契約の内容等に応じ、引渡しの日として合理的であると認められる日のうち法人が継続してその収益計上を行うこととしている日によるものとする」(基本通達2―1―2)としている。即ち、ここでは、引渡しの日として、企業会計上の引渡しとされる出荷日、引渡しそのものである検収日、黙示の検収である相手方の使用収益可能日の三つの引渡し日の例示と、検針日等という引渡し日ではないが、合理的解釈による引渡し日の一つの例示を示しているのである。

従って、ここで「検針等により販売数量を確認した日等当該棚卸資産の種類及び性質、その販売に係る契約の内容等に応じ、引渡しの日として合理的であると認められる日」とは、電気、ガス、水道など、何十万という消費者の、時々刻々変わる消費量について、毎日これを計測することは不可能であるから、その消費即ち引渡しの日をもって売上に計上しなくても、検針人による検針のあった日を引渡しの日として売上に計上した場合は、その検針日を、引渡しの日として合理的であると認められる日とする、ということを意味する。従って同通達における「当該棚卸資産の種類及び性質、その販売に係る契約の内容等に応じ、引渡しの日として合理的であると認められる日」というのは、「検針等により販売数量を確認した日等」にだけ係るものであって、検針等の日のみが、その例示である。引渡しそのものの日である「出荷した日、相手方が検収した日、相手方において使用収益ができることとなった日」にまで係るものではない。引渡しそのものの日が、当該棚卸資産の種類及び性質、その販売に係る契約の内容等に応じ、引渡しの日として合理的であるかどうかの判断を受ける必要などないからである。

これに対し、原判決は「右規定の文言にしたがえば、右出荷日等の四基準はあくまでも例示的なものであり、他に合理的な基準があればその基準によることも認められるものであり、また、具体的にどの基準を採用するかは企業の判断にまかされているが、全くの自由裁量ではなく、採用した基準がその資産の種類、性質、売買契約の内容に照らして合理的なものでなければならないものと解される」(三八丁裏一一行)とするが、本通達において「合理的」というのは、「引渡しとして合理的」という意味であって、引渡しと無関係に「合理的」という意味ではない。従って、仮にその資産の種類、性質、売買契約の内容に照らしても、引渡しそのものの例示である、出荷日等の三基準についてこれを不合理であるとする判断をすることはできず、又、引渡し以外の「他に合理的な基準」というものは認められない。その資産の種類、性質、売買契約の内容に照らして合理的なものでなければならないものとされるのは、引渡し以外の検針等の基準である。故に、企業は、それが販売としての引渡しであるならば、如何なる引渡基準をもとり得るものであり、企業の採用した基準がこの引渡基準であるならば、その資産の種類、性質、売買契約の内容に照らして不合理的なものとすることはできないのである。

(三) したがって、企業会計原則、法人税法において、企業が選択し得る売上収益計上基準、即ち販売基準は、原判決のいうような「具体的な取引に照らして合理的なもの」(三九丁表九行目)ではなく、既述の如く、販売としての引渡しであって、それが一般に公正妥当と認められる会計処理の基準である。原判決のような「合理性の基準」(取引条件基準、代金受領基準)は、販売としての引渡しと関係なく判断されるものであり、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準に反するものである。

2 原判決は、「実現主義は…であり、そのためには、売上に関しては、収益が実現したと認められたときに計上すべきであって、収益が実現したものと認められた後においては、その収益の計上時期を企業の自由裁量に委ねることは、期間損益の操作につながることとなり許されない。そしてまた、右の趣旨に照らせば、収益が何時実現したかについては、客観的に判断すべきものであり、企業の主観的な判断によって決定されるべきものではない」とするが(三九丁裏、二行目)、1で詳述の通り、収益が何時実現したかは、販売としての引渡しがあったかによって決定されるべきであり、販売としての引渡しは、特殊な販売を除き、原則として出荷により検収までの引渡しについて、継続性を前提として、企業の自主的選択に委ねられているのであって、企業の自主的な判断を無視し、客観的判断によって決定されるものではない。

企業において収益実現基準が選択的に認められるといっても、その選択すべき基準はただ一つである。従って、例えば、出荷によって販売が実現したものとして認識し、その時に売上に計上すれば、更に又検収の時に販売が実現したと認識して、もう一度売上に計上することなどは有り得ない。このような二重売上げのような会計処理は、不正経理であって期間損益の操作とは関係がない。企業の自由裁量に委ねれば、このようなことが起こり、期間損益操作につながるというような判断は、収益の実現の意義を全く理解していないと言わねばならない。このような理由で、企業の自主的判断によって決定されるべきでないとすることはできない。

要するに、原判決判示の趣旨は、客観的に判断される収益計上基準と異なる基準を企業は選択できないと言うに過ぎず、「収益が実現したものと認められた後においては、その収益の計上時期を企業の自由裁量に委ねることは、期間損益の操作につながることとなり許されない」と言うような理由に至っては、全く問題とはならない理由と言わねばならない。

3 原判決は、「以上のように、収益の計上基準は、合理的なものでなければならず、そのためには当該商品の販売に係る商品の種類等や契約条件等を考慮して決定すべきであると解される」(四〇丁表二行目)とするが、全くその理由を欠くものである。このように売上収益計上基準(販売基準)が、客観的に合理的なものに決まるならば、機械設備等のプラント販売の例(三八丁表一行目、検収基準のみが合理的な基準であるとされる)の如く、他の基準はすべて不合理な基準となり、決まるべき基準は、唯一の基準しか有り得ないことになり、基準の選択適用も有り得ず、継続性の原則も全く必要でなくなる。しかも原判決の合理性と言うのは、商品の種類、性質、契約条件(取引条件、契約の内容)等を考慮して決定されるとするものである。このような合理性は全く漠然としたもので、無内容に等しいものである。一般に公正妥当と認められる会計処理の基準としての販売基準は、販売としての引渡しであり、前記法人税の取扱い通達もこれと同旨である。契約条件の中で、どのように引渡し条件があろうとも、それは債権契約に過ぎず、物権行為としての販売の引渡しがない限りこれを売上として計上することは許されないのであるから、このような契約条件を販売基準とすることはできない。しかも原判決は、契約条件中の、代金の支払時期も又この合理性の判定基準とするが、代金の支払時期など、販売基準即ち、販売としての引渡しとは全く無関係である。商品の種類、性質等も同様販売基準と全く無関係である。

以上の如く、原判決の言う、「実現主義」、「収益計上基準(売上収益計上基準、販売基準)」は、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に反するものであって、違法の解釈である。

四 原判決の「恣意介入の余地についての判断」(四〇丁表一二行目)において、原判決は、恣意の介入の余地のある収益計上基準は、期間損益の操作が行われ、合理的基準ではないから、継続性原則は考慮する必要がないとするが、如何なる収益計上基準でも、継続性の原則が遵守されれば、期間損益の操作とはならない。しかも、企業会計原則における収益計上基準は、現実の引渡しの有無が基準となるものであって、このような恣意の介入の余地の判断を要件とするのは、企業会計原則に全く相反するものである。原判決は、事実の誤認、理由齟齬、法解釈の誤りがあり、企業会計原則に反する収益計上基準に基づく違法の判断である。

1 期間損益の操作とは、一つの会計事実について二つ以上の会計処理の原則及び手続きの選択適用が認められている場合において、これを毎期継続し適用せず、同一の会計事実について、前記または後期と異なる利益額を算出することをいう。従って、二つの企業において、異なる会計処理の基準を採用した場合であっても、それぞれその会計処理の基準を継続して適用している場合は、それにより両企業の各期間の損益に差異がでても、企業会計においても、税法においても、共にその会社の損益は適法とされ、期間損益の操作などと称されることはない。従って、原判決のいう、法人税法上の繰越欠損金、欠損金額の繰り戻し、留保金課税、外国税額の控除等、各事業年度の所得の金額を基礎として条文が適用されるものであっても、それぞれが適法な所得とされるのであるから、租税本来の要請である課税の公平が保ち得ないこととはならない(四〇丁裏五行目)。

2 原判決は、「企業会計上、継続性の原則が要請されるのは、右の趣旨に則って、期間損益の操作を排除するためであり、収益計上基準に係る取引日を経営者等がその恣意により決定し、期間損益の操作が行われるならば、継続性の原則は何らその意義を有しなくなる」(四一丁表一行目)とするが、企業会計上、継続性の原則が保たれれば、期間損益の操作とはならない。継続性の原則とは、毎期同じ会計処理の基準を採ることであって、その基準に合理性があるかどうかとは無関係である。毎期継続して原判決のいう合理性の無い基準を採用しても、原則とされる継続性はあるのであって、期間損益の操作など存しない。又、原判決は「恣意の介入の余地の大きい収益計上基準は排除されなければならない」(同丁六行目)とするが、収益計上基準の決定は企業の自主的選択に委ねられており、その選択した収益計上基準内においても、販売の可否、販売代金、引渡し期日等は、企業が、その経営政策に従い、任意にこれを決定できるものであって、如何なる収益計上基準を選択しても、又如何なる日にこれを引き渡したとしても、これをもって恣意というこはできない。又一旦収益計上基準を選択すれば、その基準日、即ち販売としての引渡しのあった日には、必ずその売上収益を計上しなければならないものであり、この点においても恣意の介入する余地などない。従って、排除すべきは、恣意で基準日と異なる日に収益を計上する会計処理であって、収益計上基準そのものではない。このような異例の、不正の会計処理を行う可能性があるからといって、正常な会計処理がその殆どである収益計上基準そのものを排除することはできない。このような基準の選択や、取引日の「恣意」は収益計上基準の要件ではなく、しかも、「介入の余地の大きい」などというような仮定の要件を付加することは、企業会計原則に全く相反するものである。

しかしながら、「恣意の余地」の意義は、原判決と一審判決とは異なっている。原判決は、「収益計上基準に係る取引日を経営者等がその恣意により決定し」としているように、恣意の余地とは、合理的な収益計上基準でない収益計上基準を経営者等が恣しいままに選択し得ることとしている。これに対し一審判決は、選択された収益計上基準において、実際の取引日を恣しいままに選択し得ることとしている。例えば、一審判決では、年度内に出荷できる商品を出荷しないで、翌年度になって出荷できる商品などの場合は、この商品の出荷基準は、出荷日を恣意で決定できる商品であるから、係る出荷基準は期間損益の操作が可能であり、不合理な基準であるから出荷基準としては認められないとするものである。原判決は、一審判決と異なる理由を何も示していないので、一審判決の「恣意の余地」を否認したのか、これを誤解したのか不明である。しかし、何れの「恣意の余地」であっても、企業会計原則における実現主義と相容れないものである。従って、「恣意の介入の余地の大きい収益計上基準は排除されなければならない」などということはできない。

3 原判決は、「純法律的にみれば、…引渡しそのものに「恣意の介入の余地」の有無が入る余地が無い…としても、収益計上基準としての引渡しの日は、法律的観念にとらわれることなく、当該具体的取引の商品の性質、契約等に照らして判断し、具体的取引の実態に適合した合理的なものでなければならない。…そして、恣意の介入の余地のある収益計上基準は、期間損益の操作が可能であって、合理的基準とは認められない」(四一丁裏三行目)とするが、その意は、収益計上基準としての引渡しは、純法律的ではないため、恣意の介入の余地があり、恣意の介入の余地のある収益計上基準は、期間損益の操作の可能性があるから、合理的基準とは認められないとするものである。企業会計原則における実現主義の下では、如何なる収益計上基準であろうと、収益計上基準としての引渡しの日とは、商品を実際に引渡した日(出荷日、船積日、荷為替取組日、検収日等)のことであって、その引渡したということについては、純法律的であるかどうか、法律的観念にとらわれているかどうかなどとは全く関係はない。従って、恣意の介入の余地のある収益計上基準など存在せず、又如何なる収益計上基準を採用しても、継続性の原則を遵守する限りは、期間損益の操作など有り得ない。

原判決は、具体的取引の実態に照らし合理的で無い収益計上基準は、恣意の介入の余地のある収益計上基準であるとするものであるが、法律的観念とか、期間損益の操作とか、全く理由とならないものを理由として、結局のところ、合理的でない基準は、恣意の介入の余地のある基準であり、恣意の介入の余地のある基準は、合理的な基準と認められないとするもので、このようなトウトロジー(循環論)は許されないものと言わねばならない。

4 原判決は、「そして、船荷証券引渡日基準が企業経営者の恣意の介入の余地のある基準であることは、引用にかかる原審判決理由説示の通りである」(四二丁表四行目)とするが、上述の如く、原判決は、収益計上基準すべてについて、法律的観念にとらわれない具体的取引の実態に照らし、合理的でないものは恣意の介入の余地がある収益計上基準であるとするのに対し、一審判決は「売主は船荷証券を受領しながら荷為替取り組みを故意に遅らせることによって期間損益の調整が可能となり恣意性のはいる余地がおおきくなる…原告会社においては、…取引金額の多いものから銀行に持ち込んで荷為替を取り組んでいる事情がうかがえるのである。してみると被告主張の船積基準のほうが原告主張の為替取組日基準よりはるかに客観性を担保している」(一審判決書、五〇丁表八行目)とするものであり、権利確定主義により収益計上基準は決まるものとし、船積みと船荷証券引渡しのどちらが所有権の移転であるかの争点とは別に、その決まった収益計上基準について、荷為替取組(船荷証券引渡し)基準のほうが、引渡しを故意に遅らせるという恣意性のはいる余地が大きいとするものであって、「恣意の介入する余地」についての意義そのものが全く異なるものである。従って、原判決が「原審判決理由説示の通りである」としてこれを引用することはできない。原判決は、一審判決のこの「恣意」の部分については「原判決の補正」もないので、これを否定しているのかどうかも不明である。故に、なんらその理由を示すこと無く、唯「原審判決理由説示の通りである」とするのであっては、原判決には審理不尽に加え、明らかな理由齟齬もしくは理由不備があると言わねばならい。

しかし、一審判決の恣意の余地と言うのも、又企業会計原則に反する違法の見解である。一審判決は、「売主は船荷証券を受領しながら荷為替取り組みを故意に遅らせることによって期間損益の調整が可能となり恣意性のはいる余地がおおきくなる」とするが、企業会計原則における収益計上基準というのは、その基準とする引渡しの事実によって収益を計上するものであり、船積みにしても荷為替にしても、その引渡日に売上げを計上するものであって、引渡可能日にこれを計上するものではない。しかも、何時船積みし、荷為替を取り組むかは、その営業政策に基づき企業が自由にこれを決定できるものである。年度内に引渡しをしているのに、これを翌期に計上することは許されないが、年度内にこの引渡しをすることが可能であるにも拘らず、この引渡しを翌期になしたとして、年度内の引渡し可能日に売上げを計上すべきであるとすることはできない。まして、このような可能性をもって、恣意の介入の余地があるとし、期間損益の調整が可能であるから、収益計上基準として認められない、などとすることはできない。しかも、一審判決は「原告会社においては、…取引金額の多いものから銀行に持ち込んで荷為替を取り組んでいる事情がうかがえるのである」とするが、このような事実は存在せず、これは甚だしい事実の誤認であって、後述指摘の準備書面の通り、被上告人は事実誤認を導くため、虚偽の主張や、証拠の提出をしているものである。荷為替の取組が遅れては、上告人会社は却って多大の損害を被るのである。

これについては、(控訴人第一準備書面二二頁九行目より二四頁まで、三四頁一二行目より三六頁まで)(同第三準備書面一頁二行目より八頁まで、一二頁七行目、二三頁一〇行目より三〇頁まで)(同第四準備書面一頁二行目より四頁まで、一二頁一行目より一五頁まで)(同第五準備書面一一頁三行目より一二頁まで)(同第六準備書面一九頁五行目より一二頁まで)(同第七準備書面一九頁六行目より二〇頁まで)(同第九準備書面一四頁一四行目より一六頁まで)(同第十準備書面七頁三行目より八頁まで、一二頁一〇行目より一三頁まで)において、一審判決並びに被上告人の主張に対して、詳細にその論拠並びに事実について弁論している。

以上の如く、原判決には、「恣意」、「恣意の介入する余地」に、事実の誤認、理由齟齬、法解釈の誤り、これに加え審理不尽があり、「継続性の原則」、「期間損益の操作」には、企業会計原則上、法人税法上の解釈の誤りがある。これらの誤りは判決に影響を及ぼす著しい誤りである。

五 原判決の「船荷証券引渡基準の適法性の判断」(四二丁表九行目)において、原判決は、荷為替の取組を銀行よりの手形借入れと解し、船荷証券の引渡しをその担保とするが、荷為替の取組は販売のためになされるものであり、船荷証券の引渡しは、その表彰する商品の引渡しである。同時に手形代金を受領しても、販売基準であることには変わりはなく、回収基準などではない。原判決は、企業会計原則上の収益実現の概念を誤解し、荷為替取組基準(船荷証券引渡基準)が適法な引渡基準であるにも拘らず、これを回収基準とする違法な判断である。

1 原判決は、「この点に関する控訴人の主張(二)(1)ないし(2)の主張は、具体的な取引行為を考慮しない、所有権及び引き渡しについての法律上の観念のみにとらわれた形式的な主張であり、…」とするが、上述の通り、一般に公正妥当とされる売上収益計上基準は、「販売としての引渡し」を基準とするものであり、基準としての抽象性を有するものであって、具体的な取引行為によって左右されるものではない。又、原判決の「合理的基準」は「販売としての引渡し」に反する基準である。「販売としての引渡し」は法律上の所有権、及び引渡しと密接な関係があり、上記上告人の主張はこれを明らかにしたものである。これを形式的な主張とすることはできない。

2 原判決の「合理的と認められる基準」とは、引渡し、代金の支払等の取引条件によって決定されるとするものであり、異なる取引条件の数だけ売上収益計上基準が存在することとなる反面、当該取引条件の下では唯一つの収益計上基準しか存在しないこととなる。従って、原判決の収益計上基準の見解によれば、売上げ収益の選択適用ということは有り得ない。「収益が実現すれば売上として計上すべきである」とするのはこの現れであり、検収基準に限らず、如何なる基準も一般的に(取引条件と無関係に)収益計上基準となり得ないこととなる。このような基準が、継続性の原則により、企業の自主的選択を認め、千差万別の企業実態に即すると共に、産業経済の発展と適正な担税能力の育成に不可欠であるとする、企業会計並びに税法に容認されないのは当然のことであって、原判決のような基準は、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」として、到底容認されるものではない。

3 原判決は、「船荷証券引渡し基準は、会計上、荷為替取組日基準と呼ばれているものであり、…そして、船荷証券は右輸出手形の担保の意味で銀行に引渡すものであって、荷為替手取り組みの主たる目的は、…手形代金を回収するものであり、実質的には、商品代金を回収することにある」(四三丁表一行目)とするが、売買において、商品の引渡しとして船荷証券が引き渡されるのは、何も荷為替に限るものではない。会計上、荷為替取組日基準は、船荷証券を引渡し日とする基準ではあるが、船荷証券引渡基準が荷為替取組日基準と呼ばれるものではない。原判決は、船荷証券引渡基準を十分理解していない。

本件における荷為替は、銀行に対する船荷証券を添えた為替手形の売却である。銀行は、信用状、船荷証券、保険証券等と共にこれを買い入れ、外国に在る自行、又は、信用状発行銀行等の他行を通じ、船荷証券等の引渡しと引換に、買主よりこの為替手形の引受を受け、その満期日にこの手形金を回収するものであり、買主は、手形の引き受けと共に船荷証券等を受け取り、船荷証券と引換に船長より商品を受け取り、直ちにこれを検収し、必要があらば、売主に対する瑕疵の通知、保険会社に対する保険金の請求をなし、これとは別に、手形の満期日にこの手形金の支払をなすものである。

従って、銀行より手形貸付を受けるものではないから、船荷証券を担保として引き渡すのではなく、又為替手形の振出人ではあっても受取人ではないから、手形代金の回収ではない。形式上は、買主を引受人とする為替手形の振出即ち手形の売却であるが、約束手形と異なり、売主が支払人としての支払い義務を負うものではなく、引受けの無かった場合、または、引受人がこれを支払わなかった場合に、振出人としての二次的支払義務を負うのに過ぎないのであって、実質的には、売主よりこれを見れば、船荷証券即ち商品の売却代金であり、銀行を受取人とし、買主を引受人とする為替手形の振出は、銀行の代金回収の為の担保としてなされるものである(会計上は、為替手形の振出は、会計上の取引とされず、何の仕訳もしないこととなっている)。このことは、銀行は船積だけで為替手形を買い入れるものではなく、信用状に基づき、船荷証券を引渡して始めて為替手形を買い入れること、買主の手形の引受け、商品の受領、検収、手形の支払をたどるものではあるが、売主は、改めて商品代金を受け取るものではなく、又手形代金を返済するものでないことを考えれば、これが商品代金の受領に当たることは明らかである。

しかし、船荷証券引渡しを売上収益計上基準とすれば、荷為替の取組時には船荷証券を引き渡すのであるから、この時に収益が実現する。これと引換に代金を受領しても、代金の受領がなく売掛金となっても、引渡しによる収益が実現することには変わりはない。売掛金なら売上収益計上基準となるが、代金を受領すれば回収基準となるものではない。回収基準とは、検収即ち、販売としての引渡しが認められる最終の時点まで売上に計上せず、その後の商品代金の回収時点で売上を計上する基準である。従って、荷為替取組日基準は売上収益計上基準であって回収基準ではない。

原判決は、「客観的には、船積によって収益が実現したものと認められる…、右荷為替の取組みは、収益が実現した後における収益の回収と認めるのが相当である。したがって、控訴人主張の船荷証券引渡日基準は、実質的には回収基準(現金主義)にほかならない」(四三丁表一〇行目)とするが、売上収益計上基準として船積日基準を採用すれば、船積によって収益が実現することになり、売上げに計上されるのであるから、後日代金が入金になっても、それは売掛金の回収としなければならず、その回収の時を売上収益計上基準としてもう一度売上げを計上することなどできないのは当然である。上告人は、船積日基準を採用せず、荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)を売上収益計上基準としているのであるから、船積によって収益が実現するものではない。従って、荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)を売上収益計上基準として収益が実現することとしても、それにより二度売上げを計上することにはならない。又、その時同時に代金の受領があっても、売上収益計上基準としての荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)に何の支障もなく、これが採用していない船積日基準の代金回収となるものではない。

そもそも上告人の荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)は、船荷証券即ち商品の引渡しを基準として、売上収益計上基準としているものであり、手形代金の入金をもって売上収益計上基準としているものではない。従って、荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)が売上収益計上基準として妥当な基準かどうかが判断されるべきではあっても、船積日基準の採用を前提にし、荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)を収益実現後の基準であるとしたり、何の関係もない回収基準であるとして、荷為替取組日基準(船荷証券引渡日基準)が妥当な基準ではないと判断することはできない。原判決は、結論を前提として、結論が正しいと不当に判断しているものである。

4 原判決は、「原判決理由と併せ検討すれば、船荷証券引渡し基準は、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準にしたがったものとは認められない」(四三丁裏六行目)とするが、一審判決は、「損益計算書原則としての発生主義、権利確定主義を採用した現行の会計処理基準」(一審判決書五二丁裏二行目)とあるように、権利確定主義の下で、「商品の本船積込み時を基準として買手側にその所有権及び危険負担が移るとされている…のであるから、為替取組日基準は右の所有権移転の基準日」(一審判決五一丁裏八行目)とすることはできず、荷為替取組日基準は、企業会計原則上の現金主義もしくは回収主義によるものであり、一般に公正妥当と認められる会計処理の基準にしたがったものとは認められないとするものであって、原判決の取引条件等を考慮して合理性がないから、回収基準であるとするのとは、根本的に異なっているものであり、原判決は、かかる一審判決と異なった理由を引用し、これと併せて自己の理由とすることはできないものである。原判決は、一審判決の権利確定主義を実現主義に改めるとしているが(五丁表二行目、同一〇行目、二九丁裏三行目、三三丁裏八行目、同一〇行目、三四丁表三三行目)、これは単なる語句の変更ではなく、判決理由の変更である。上述の如く、このような一審判決の変更は、民訴法三九一条に反し無効であり、一審判決の「権利確定主義」に基づく売上収益計上基準を否認し、売上収益計上基準を「取引条件等の合理主義」に基づくものとし、これと整合するよう一審判決の事実及び判決理由という形で、自審の判決における事実及び判決理由として、これを変更判示したものである。従って、原判決はこれに関する一審判決理由を引用することはできず、上告人においても、原判決によって否認された「権利確定主義」に基づく売上収益計上基準に関する否認を主張論証する必要はなく、専ら原判決における売上収益計上基準の違法性、不当性につき上告理由の論点としている。

結論 原判決は、法人税二二条四項の「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」は、企業会計原則のみを意味するものではなくて他の会計慣行を含み、他方、企業会計原則であっても解釈上採用し得ない場合もあるとするが、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」とは、企業会計原則に基づく基準を指すものであって、企業会計原則に反する基準は、「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」ではない。

原判決は、企業会計原則及び法人税法における売上収益計上基準について、実現主義の見地から、一審判決が権利確定主義によって決まるとするのを否認し、客観的合理主義即ち商品の種類、性質、取引条件によって、客観的、合理的に決定されるとしているものである。そして、FOB条件の輸出にあっては、(一審判決では権利確定主義により、船積みによって代金債権が確定するため、原判決では取引条件がFOB条件であるため)、共に船積日基準でなければならないとし、船積みによって収益は実現し、荷為替取組日基準(船荷証券引渡基準)は、収益実現後の基準であって、回収基準であり、このような売上収益計上基準は、(一審判決では取組日を遅らせることができるため、原判決では、不合理な基準で、期間損益の操作ができるため)恣意の介入の余地があり、仮に継続性の原則を遵守したとしても、期間収益の調整が可能であるから認められず、被上告人において、船積日に売上げがあったものとして、その差額を更正した本件更正処分は適法であるとするものである。

しかし、企業会計原則及び法人税法では、引渡主義に基づく売上収益計上基準が「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」であるとしているものである。原判決の客観的合理的主義によれば、何等引渡しの無い日が売上収益計上基準となるばかりでなく、取引条件等によって客観的に売上収益基準が決まるところから、企業の自主的選択も認められず、継続性の原則の必要もなくなる。又、一事業年度内においても、千差万別の取引条件等があることから、取引条件等の異なるごとに売上収益計上基準が異なることになり、無数の売上収益計上基準が生ずることになる、その上、商品の種類、性質、取引条件等について、何が合理的であるかについて、原判決は何等その判断基準を示していないのであるから、客観的に決まると言っても、その判断は人によってまちまちになり、担当者が変わるなどにより、その売上収益計上基準が異なる可能性が生じ、同じ取引条件等でありながら、各期においてその売上収益計上基準が異なることになり、期間損益が不当に歪むことになる。従って、このような客観的合理主義による売上収益計上基準は、権利確定主義における場合と同様、企業会計原則並びに法人税における「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に当たらない。企業会計原則並びに法人税法における「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」に当たる売上収益計上基準は、販売としての引渡しがその基準となるものである。船荷証券は、運送商品の所有権及びその引渡請求権を表彰する有価証券であり、その引渡しは商品の引渡しに該当する。荷為替取組基準は、この船荷証券の引渡しを売上収益計上基準とするものであって、企業会計原則並びに法人税法(法人税基本通達を含む)における引渡基準に該当する。上告人はこの基準を毎朝継続して適用している。従って、荷為替取組基準は適法であり、このような更正は法人税法二二条四項に反する違法の処分であり、その取消は免れない。

原判決は、法人税法二二条四項の「一般に公正妥当と認められる会計処理の基準」の解釈を誤り、しかも、企業会計原則における「実現主義」「収益の実現」「引渡し」「継続性の原則」「回収基準」の解釈を誤り、その上、全く理由の無い「恣意の余地」という判断の下で、本件売上収益計上基準は、船積日基準に限るとしているものである。以上の如く、原判決は、法令違反、理由不備、事実誤認、審理不尽の判決であって、これらはすべて判決に影響を及ぼすものである。

よって、上告人は、原判決の破棄並びに被上告人の本件更正処分の取消を求めるものである。

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